ピアニストが活躍する映画特集

盲目の人に飛び交う心ない話題

ホアンさんのようなケースは珍しくない

辻井さんについてはさほどネガティブな話題を耳にしませんが、ホアンさんが実際に受けた中傷は心の傷として残るには重すぎるものだ。目が見えないから、という理由で特別扱いされているという勘違いは妬みでしかない、けれど本人は世界を見たくても見ることが出来ない、その辛さと常に直面しなければならない。それがどれほど悲しく、やりきれない思いに苛まれるかは、筆者も含めて健常な人間には理解の範疇を超えた苦しみのはずだ。

そうしたハンデがありながらも懸命に生き、音楽という道を見いだせたことは喜ばしいことです。事実として、歴史上でも盲目の人は特に音楽の道を志す人が多いという統計も発表されている。目が見えない、それだけで将来的に仕事をするにしても職が限られてしまう。例えばこうして筆者が書いている文章、手が動けても自分で書いたものを確かめられなければ意味をなさない。もし仮にいまこの瞬間から視力を失ったとしたら、恐らく人としてまともに生きていくことすら出来なくなるだろう。

そんな状況を幼い頃から、無自覚に思い知らされるのだから盲目の人の心労は常に大きいかもしれません。ただ目が見えないだけで、後は普通と何も変わらないから生きていけるので悲観的になり過ぎないのも大事だと語る医療関係者もいる。辻井さんにしてもホアンさんにしても、将来を不安視するが自分の道として音楽に携わっているので幸せなことに変わりないはずだ。

ですが社会の、彼らのように表舞台で誰もが羨む才能を披露する人々ですら中傷を受けているのに対して、一般の視覚障害を患っている人に対しての風当たりも相当強い傾向にあります。一部の話ですが、そうした出来事に遭遇した際には生きる気力すら奪われると言っても過言ではありません。

盲目の少女が受けた容赦無い攻撃

盲目の人は外を出歩いてはならない、などといった決まりはない。法律でも条例でも、彼らの行動制限を縛るものはどこにもありません。行動できるのなら何処へでもいく、縛り付けて外出させないようにする、といったことは誰にも許されていません。ホアンさんのようにただ音楽を愛しているだけなのに、目が見えないという点を理由に陰口を叩かれた。それだけならまだいいでしょう、中には目が見えない中で突然の暴力を振るわれたというケースが、ここ日本でも起こっている。

埼玉県はJR川越駅の構内で事は起こった。その日、1人の女子学生が駅の点字ブロックの上を歩いていた、そんな彼女の手には白杖がある。全盲だと人目でわかる風貌の彼女の前を、サラリーマン風の中年男性が通ろうとした時だった。彼女の杖が足の爪先にあたって転びそうになり、それに対して後ろから膝の裏を蹴るといった暴挙に出たのです。何が起こったか理解できない女子学生は衝撃と痛みから転倒し、周囲の人は男性の行為に怒号を挙げた。その後男性は謝罪をすることなくその場を立ち去ったとされ、この経験から1人で外を歩くこともできなくなった、そう女子学生は嘆いている。

事の経緯としては、つまづきそうになった際に女子学生が男性に対して釈明することなかったから怒ったのではない、とも推測されているが、当事者ではないため真相は定かではない。本来なら男性の行為を非難されるべきですが、それ以外にも女子学生にも非があったのではないか、などといった声も上がっている。

視覚機能がまともに作用していない人間が、そこまで横柄な行動が出来るかは疑問だ。もしかしたら無遠慮な人もいるかもしれませんが、それだけで何をしても障害者が悪いと見なす人はいるという。

状況に応じて行動して欲しいとの声も

また視覚障害の人は、なるべく朝のラッシュ時など人混みの多い時間帯には出歩かないで欲しいという意見も飛んでいる。結論から言えばそれはその人のわがままであり、目が見えないから昼間の人が少ない時間に行動しなければならないというのは、その人の行動を制限している。差別的な発言も飛び交うこともあるなど、この話題が出た時はネット上で物議をかもしていた。

盲導犬に対しても

白杖を使用するのは視覚障害を患っている人の持ち物、他にも目の代わりとして盲導犬と共に日々を暮らしている人がいる。彼らにとっては眼であり、生涯を通してのパートナーでもある。ただそんな盲導犬を伴っていても、心ない言葉や理解が得られない場面に出くわすこともあるという。最近のニュースで上がったのは、タクシーに乗ろうとして盲導犬と共に乗り込もうとすると、犬は乗せられないとして運転手が乗車拒否したというのだ。

基本盲導犬であればタクシーの乗車は認められている。ケージに入れることなく乗せられるが、この運転手は車内が汚れて掃除するのが面倒くさいからという理由で拒否したという。世も末というが、盲導犬がどのような存在なのかを考えれば拒否などという結論に至らないのに、自分勝手な人が増えた証なのかもしれません。

ホアンさんのようなケースは山ほどある

全盲なら優先されるべき、助けなくてはならないという印象が先行するもの。だが中には目が見えないから特別視されている、見えないことを理由に何でも好き勝手にできると思うなと、まるでその人の境遇など自分の責任ではないかと言っているような発言を堂々としている人がいる。

全盲の人が必ずしもそんな経験を受けるわけではないが、ホアンさんが劇中で自らの生きる意味でもあるピアノを諦めようとすらした出来事は、人間のエゴから来ているのかもしれません。彼の場合は家族と友人たちの支えもあって乗り越えましたが、もしそれがなければピアニストとしての道は断たれていたかもしれない、そう思えて仕方がない。

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