ピアニストが活躍する映画特集

何故船を降りなかったのか

選択の余地という自由

船を降りたマックスは、その後世界大戦に巻き込まれながらもなんとか生き残り、新時代の幕開けに立ち会った。これから新しい世界がやってくる、そう実感する彼の下にある情報が届けられる。かつて彼も乗船していたヴァージニアン号が、老朽化にともなっての爆破処分が決定されたとの報せだった。そこで懐かしみつつ見送ろうと思う、だが同時に何故か心に残る不安がよぎったのです。

他でもない、船の中で共に過ごした1900のことだ。流石にもう乗っていないだろう、そう思いたがったが、嫌な予感に苛まれた彼は急ぎ爆破処分される寸前の船へと向かいます。もうまもなく爆破される寸前の船に、錆びついて危険だという工事員の静止を振りきってマックスは船内へと入っていく。

きらびやかな装飾で満たされ、豪奢な服に身を包んだ人々が闊歩していた廊下や船内は見るも無残な、時間の残酷さを謳っていた。かつての栄光があったそこにはもう何も残されていない、誰も居ないはずだと思いたいのに、ここに彼がまだいるという胸騒ぎだけは収まらなかった。懸命に船内を探し、叫び続けるマックス。反響する声はただ虚しく響き、空虚な空間と朽ちた内装だけが滑稽さを物語っていた。

誰もいない、もしかしたらもうこの世にいないのかもしれない、半ば諦めていた時だった。とある暗がりに人影を見つけ、そこへ歩み寄るとかつての親友だった1900その人がいたのです。そう、彼は世界大戦中であっても船から降りること無く、廃船が決まった後もずっとヴァージニアン号に乗り続けていたのだ。やっと見つけた1900に、マックスはまた一緒に音楽をやろうと提案する。新しい世界がやってくる、もっともっと音楽を楽しもうと言うマックスの問いかけは、一見すると自由への一歩と見れる。

しかし1900が選べる選択肢は、1つしかなかったのです。

降りない、その理由とは

ここからが本作で一番の謎と疑問を生みだしているところでもある。このまま乗船していれば自然と死ぬ運命にある中で、マックスという昔の友人が連れだそうとしているとしたら、必然と外へ行こうと言う結論に至るのが普通だ。しかし1900が選んだ答えは、『船からは降りない、このままここで運命をともにするつもりだ』というものだったのです。

当然マックスはどうしてそこまで固執するのかと尋ねる。彼にすれば仕事で乗っていただけだったが、1900との出会いで楽しい時間を過ごした。しかしそれも終りを迎えて離れた頃には『良い思い出』としか見なさなかった。けれど1900が語る、船を離れない理由を聞かされてそれに返す言葉が何処にもなかったのです。それだけ1900とマックスの間にある溝の深さであり、ヴァージニアン号に対する思いの違いといえる。

理由については劇中、ならびに現在まで明らかにされていません。様々な推測と憶測が立てられていますが、筆者の中ではこのヴァージニアン号とは、彼にとって『母であり、父であり、そして故郷でもある場所』だという思い入れがあるのではと思った。

誰もが最後は生まれ故郷に一度は帰りたいと思うもの、そこで安らかに永眠が出来るのならばそれに越したことはない、そう思う人もいると思います。1900にとって、ヴァージニアン号とは故郷であると同時に、自分を慈しみ、育んでくれた両親のような存在だと見なしていたのではないか。だからこそ、ここから離れて生活するというのは故郷を失い、父と母を見捨てるということを意味するも同然の行為。

船の中でしか生きられない男性が選んだ最期は、そんな自分にとって肉親同然の船と共に安らぎを得ることだった、そう思える。

船の中でしか生きられない自分

実際、降りて愛しい人に会いに行こうとした際には何か躊躇めいたものも感じた。それと同時に外で生きるということ、その恐ろしさを痛感した瞬間といえるかもしれません。幼年期から少年期、青年期を経過して大人になった1900がまともに陸地へ足を伸ばす行為は、未知の世界で1人生きていく事を意味しているようなものだ。狭くて暗い、閉ざされた世界でしかないヴァージニアン号の中こそ1900にとっての世界であり、全てだった。

一歩踏み出すことで新世界へ降り立てる、しかし同時に何もかも失うことも意味している。そこまで英断出来るほど、彼は器用ではなかったのだろう。引き返して船での暮らしに甘んじたのではなく、この狭い社会でしか自分という存在は生きられないことも知っていたからこそ、例え死んでもいいからここにいると言ったのかもしれません。

沈みゆく船とともに

1900の決意は揺らぐこと無く、失意のまま彼を見捨てる形になってしまったマックスは船が爆破される瞬間を見つめ続けた。やがて船は轟音響く爆発とともに海へと吸い込まれていき、そこにいた1900という男性も共に沈んでいった。本来なら誰に知られること無く死ぬはずだった1900にとって、最期にマックスと邂逅できたのは喜ばしいことだったとも思える。

結果として友人を助けられなかったマックスはトランペットを売ることで気持ちを精算しようとしたのかも知れません、しかし事の顛末を聞いた店主はマックスにトランペットを返して見送るところで物語は終わります。

作品こそフィクションですが、これがもし実話だったとしたら壮大な話といえます。残念ながら人気という人気は出なかったものの、知る人ぞ知るピアニストが主役の映画という意味では戦場のピアニストとは違った、臨場感があります。見て納得できる名作ですので、機会があればぜひ目を通しておきたい作品だ。

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