ピアニストが活躍する映画特集

父との関係

親子としてではなく、師弟として

この物語において最も重要なポイントになるのがデイヴィッドと父との関係でしょう。幼い頃から過度と言える英才教育をして、子供の頃から父の夢だったピアニストになるべく努力を強いられ続けた。その結果、獲得した栄光は大きく、有名な演奏家を多数輩出している音楽院から奨学金が降りる留学まで認められるくらいに話が持ち上がっていった。彼を取り巻く環境が徐々に変わっていき、ピアニストとしての道を確かなものにしていこうとする中で、突如父がデイヴィッドの活躍を止めるように留学を認めないと言い出します。

自分が叶えたかった夢を子供に託す、自分の目標をまだ幼いデイヴィッドに押し付けて活躍ぶりを自慢気に、鼻高々に誇っていた父。しかしそれが自分の手のひらから離れて行こうとすると、今度は手放さないとして逆に彼から音楽を取りあげようとします。

この心境の変化は一体何を意味しているのか、そこには父として、同じ夢を持っていたものとしての嫉妬心が強くあったからと推測できる。そう思うと、ホアンさんと違って親子という関係よりは、同じ道を歩く師弟といった関係が近いといえます。

嫉妬心もあった?

親が子供に対して過度な期待を押し付け、夢を叶えさせようとする事は良くある話だ。事実、筆者も学生時代には父が手に職としていた自動車整備士にすると言い出したこともある。それを聞いた時、のらりくらりと話を躱して何も聞いていません、といった体で有耶無耶にしたものだ。そもそも自分にその適性がないこと、どうしようもなく手先が不器用だと自分でも自覚していたので、まずないなぁと将来の進路とすらみなさなかった。そもそも自動車に全く、微塵の興味も湧かない時点で自分に自動車が関わる仕事はないと思っていた。

劇中のデイヴィッドとその父との関係はまさにそれだ。父はかつて自分では叶えられなかった願いを子供のデイヴィッドに託し、ピアニストとして活躍して欲しいと願う。その期待を一心に受けてデイヴィッドは期待を結果に残していった。最初こそ自慢として息子の活躍を喜んでいたが、その存在が大きくなればなるほど彼のピアニストとして獲得した技術と才能を妬んでいった、そう筆者は見ている。新聞などの記事をスクラップにして集めたものを燃やす姿、自分には無理だったピアニストへの道を確かに歩こうとしているデイヴィッドは誇りと同時に、嫉妬という感情に苛まれていたと思われる。

自分にもあれだけ才能があれば、どうして自分ではなく息子なんだと、そう自己嫌悪にも近い感情を鬱屈させていったことが、留学の話を立ち消えさせようと暴力を行使してでも止めようとしたのかもしれません。

手放したくなかったとも

単純に、大きくなっていく息子が自分の手の中から飛んでいってしまうのが嫌だったとも取れます。最初こそ自分の力で息子の才能を伸ばしていましたが、注目されるようになるとプロの演奏家であったセシル・パーカーに師事を依頼します。その甲斐あってデイヴィッドの実力は更に向上していきますが、それもまたやっかみとなっていったのだろう。何をしても息子のために、親として喜べなくなった時点で、今まで息子の幸せと言いながら自分のことしか考えていなかった事を思い知られたのではないか。

自分がここまで育てた、だからこれからも自分のそばにいろ、そう意味するように息子を引き留めようとする姿は何処か必死さも見て取れる。大きくなる息子が手の中から本当に飛んでいってしまうこと、それを何より恐れていたのでしょう。

デイヴィッドは結果的に父ではなく支持していたセシル・パーカーを頼り、留学をする。この時点で彼と父の間にまだ残っていた親子という繋がりは断絶したと見るべきでしょう。

脚色されている

とてもシリアスでシビアなデイヴィットと父の関係ですが、これはどうやら劇中における脚色だという見方が強いという。作品の中で語られるような険悪さはデイヴィットと父の間にはなく、家族としてうまく言っていたといわれている。暴君のような性格はしていない、そして父から受けた虐待めいた特訓のせいで患ったという精神病についても、母方の家系で受け継いでいる遺伝的なものだとしています。

映画などでたまに内容を誇張しているものはありますが、今作でもそれが顕著に出て、あらぬ誤解を生んでしまったようだ。

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